私が美術館好きだと知ると、芸術を語りたいおじさんが集まってくる。

 

そして、長い長い、さして面白くもない、過去の栄光やら何やらが入り混じった焦点の合わない話を聞く羽目になる。

 

そういう時は心を放ち、慈悲の笑みをうっすらと浮かべながら、時が過ぎるのを待つ。

 

すると、おじさんはこぞって言う。

「おとなしいんだね」

 

となると、悩ましいのは、これを否定するかどうか。

「おとなしくなんかないですよ」と、思うつぼにみすみす立ち入るのか、静かに微笑んでおとなしくしているか。

 

そもそも、ふさわしい相槌が見つからないだけ。

もしくは、発言すればすべてが終わるような一撃を探しているだけ。

 

 自分の話を静かに聞いてもらうだけで、なぜ相手が「おとなしい」と決めつけるような事態が起こるのだろう。

 

以下、考えられる発言までの経緯

パターン①

・音量的に静かを保てた

・うっすら浮かべた慈悲の微笑みマジック

・程よい相槌で、話を聞いてもらうのがご無沙汰だった

 →よく考えたら、自分しか話していないではないか!

 →結果、会話としての盛り上がりはあったのか?

 →会話が盛り上がらなかったのは「おとなしい」相手のせい

 →「おとなしいね」

 →おとなしいのはそなたのせいです

 

パターン②

・こんな話を聞いてくれるなんて、ありがとう

 →そんな相手に賛辞を!僕なりの大賛辞「おとなしいね」

 →大惨事やぞ、こら