宗教心はほぼないが、仏像を見るのが好きだ。

 

仏像は煩悩の残り方により、四つに分類することができる。

 

煩悩残高ゼロ、悟りを開いた如来

煩悩残高ごく僅か、お洒落欲のみが唯一残ってしまった菩薩。

煩悩残高あり、感情が表情に出やすく、お洒落欲もばりばりの明王

煩悩残高そこそこ、感情剥き出し、邪鬼をこらしめ、全身隈なくお洒落しまくりの天。

 

煩悩の表れとして、 お洒落欲が出てくるというのはとても興味深い。

 

要するに、着飾るということに論点はある。

 

着飾るということは、よく見せるということだ。

周囲の視線を考慮して、人々にどう見られるか、どう思われるか、どう見せたいのか、どう思わせたいのか、ということになる。

そういう心持ちがおそらく煩悩なのだ。

 

だからといって、仏は裸にはならない。

如来であっても、きちんと布を纏っている。

 

裸になること、裸にすること、

着飾ること、着飾らせること。

 

 

 

やれやれ、私は煩悩だらけ。