パンツをはいて

人は誰かによく思われたい、好かれたい、愛されたいと心に服を着せる。

ある人は着飾ることがとても得意だったり、ある人はとても薄着、またある人はとても厚着だったりもする。

時にその服は鎧となり、時にその服は武器にもなる。

 

私は、その服を脱がすのがとても得意。

 

いつの間にか、相手は丸裸になっている。

そして、実は、多くの相手は裸になった事実に気が付いていない。

もしくは気が付いていても、恥ずかしげもなく裸族として平然と過ごそうとする。

どんなに格好悪くても、無様でも、その裸を晒すことに抵抗がなくなる。

 

丸裸の自分を受け入れられることほど幸せな話はない。

どんなに醜くても、非道でも、うすよごれていても、一度脱いでしまえば、丸裸の道が拓ける。

 

そのうち、よそ行きが必要だという時にも、裸で出かけようとしたり、よれたシャツでサンダルをひっかけたりするようになる。

ドレスコードなんてどうでもよくなる。

 

そして、もう服を着ることも億劫になって、いつの間にか気がつけばクローゼットの中は空っぽになる。

 

私のために着飾る服を失う。

 

いつだって自然体。

それはお前が望んだことでは?飾らない自分をも好きだったのでは?と全裸で主張を始める。

 

ストリップを見るように、時に煽りながら面白がって脱がせたのは私。

どんな姿でも、例え引いていても分かったような顔をして受け入れたのは私。

裸で受け入れ合うことこそが理解し合うことに繋がると思っていた。

 

でも、それは違っていた。

 

人はせめてパンツを履いてなくてはいけない。

裸になれば分かり合えるというものではない。

節度が大事なのだ。

ドレスコードはルールではなく配慮事項だ。

裸になるのはベッドの中でいい。

 

愛している男には、部屋着を着ていてほしい。

せめて、パンツを履いてほしい。

最悪、バスタオル1枚、葉っぱ1枚でもいい。

どんな裸の相手でも受け入れる。

だが、パンツを履こうと思う気持ちを忘れないでほしい。

 

愛されたい男には、私も部屋着で化粧していると勘付かせないくらいのナチュラルメイクで接したい。

 

丸裸ではなく。

 

 

丸裸ではなく。