私の住む町の近くには港がいくつかある。

 

港の辺りには工場がたくさんあって、私はそれを眺めるのが好きだ。

港には色んな人がいて、色んな時間の流れがある。

 

 

釣りをしている人がいた。

釣り糸を垂らして、魚がかかるのをじっと待つ。

腕組みをして、なんなら居眠りをして。

 

その光景を見て不思議なものだなと思う。

 

魚を手に入れる方法はいくつもある。

買い物に行くもひとつ。

釣り糸を垂らして魚がかかるのを待つもひとつ。

釣るにしても、疑似餌を使うか、撒き餌を使うか、活き餌を使うか。

船に乗り込んで魚を釣りに大海原に乗り出すもひとつ。

モリで突きに行くもひとつ。

網をほりこみ、引くというのもひとつ。

 

何かを手に入れるための手段はいくつもあって、それを選んでいるのはいつだって自分なのだとふと気付かされる。

 

私は何を手に入れたいのか、何を欲しているのか。

そのためにどの手段を選ぶのか。

適した方法は何なのか。

何をするにも私たちは試されているのだと思う。

誰になのか、は分からないけれど。

 

結局、小一時間、釣り人の後ろ姿を眺めていたけれど、釣れたのは小さなアジが二匹だった。