ピアニストは孤高の存在だ。

ステージに立てば、ピアノに、音楽に、独りで向かう。

どんなにライトで照らされても。

どんなに華やかなドレスを纏っていても。

 

私の親友は酒豪で、面食いで、ピアニストだ。

 

演奏会前日に練習を聞かせてもらい、彼女の音色のあまりの力強さに、繊細さに、美しさに、涙した。 

ピアノという楽器の底力を思い知らされる素晴らしい演奏だった。

 

音と音が重なり、うねり、大きな波動となる。

 

それはとてつもない集中力のもとに生まれ、それはえげつない練習のもとに起こる。 

 

そして孤独な長き奮闘は、あたたかな拍手で讃えられる。

 

 

 

彼女の演奏会は必ずモーツァルトの『きらきら星変奏曲』で始まる。

副題は『ねぇお母さんきいて』

ピアノを愛した母を幼い頃に亡くした彼女がこの曲に馳せたものを思う。

 

お嬢さんは全然、お嬢さんじゃない。

特別サービスは全然、特別じゃない。

本日限り!はきっと普段からだろう。

 

でも、威勢のいい商売人の嘘は好きだ。

 

干物屋の大将が70代のお嬢さんに

『売るのは俺ら商売人の責任や!食べ方?こんなんもあんなんもあるけどな、食べ方は買いはったお嬢さんの好きにしー!そんなんは自由やで!』

と言っていて、あんまり保守的になって、その道のプロにその道のこと聞いてもいかんもんやなーと思った。

真に賢い人は、意見の異なる双方を納得させる方法を生み出せる。

 

何かに敵意を剥き出しにして、戦いを挑むという方法は浅はかだと思う。

 

相手を陥れる方法でしか自分を納得させられない者は決して賢くない。

 

戦い方を誤る者は私は嫌いだ。